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祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.36 FPM 田中知之さん(後編)

2019年3月29日 - limeimei2

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前回、前々回に引き続き、ゲストにFPM=Fantastic Plastic Machine(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)の田中知之さんをお迎えしてお届けする編集大魔王対談。FPMという名前の由来から現在制作中のアルバム、偏愛するヴィンテージまで幅広くお話を伺いました。ここでしか読むことができないエクスクルーシブな内容は必見です。

Interview by SUKEZANE TomokiPhotographs by MAEDA AkiraText by ANDO Sara (OPENERS)

9.11を機に活動拠点を日本へ移すとアジアでブレイク

祐真朋樹・編集大魔王(以下、祐真) FPMという名前になったいきさつは?

田中知之さん(以下、田中) デモを作り始めた94年に、ピチカート・ファイヴの小西さんと音楽プロデューサーの坂口修さんと僕の3人で、ソニーから選曲のコンピレーションアルバムを3枚出したんです。映画音楽のコンピレーション、バート・バカラック※1のカバーのコンピレーション、クリスマスソングのコンピレーションを同時リリースしました。制作当時、『The Fantastic Plastic Machine』※2という映画のサントラを持っていたんです。音楽が素晴らしかったので、アルバムに入れようという話をしていたら小西さんが「Fantastic Plastic Machineっていうバンドがあったらいいよね」っておっしゃったので、そうですね、なんて言ってて。そして音楽を作り始めた時、その名前をそのままちょうだいしたんです。デビューするなんて思っていなかったので、深く考えずに。

祐真 話を戻しまして、日本の音楽が世界に拡散していったのは2001年で一区切りがついたということですが。

田中 僕自身の話に限って言えば、そんな気がします。ラウンジというムーブメントが一段落したというか。そこから活動拠点を日本国内とアジア諸国に移して、エイベックスに移籍して、ラウンジミュージックと決別して。ファンクやディスコ、フィラデルフィアソウルなんかにフォーカスした「beautiful.」※3というアルバムをリリースしたら、アジアでブレイクしたんです。

祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.36 FPM 田中知之さん(後編)

祐真 その時点で日本ではなくアジアに目を向けたのは?

田中 たまたまです。それまでと違う音楽を作り始めたらアジアでのDJの依頼も増えていきました。そんな中、韓国のソウルにDJとして呼ばれたんですよ。どんなところでどんな風にDJをするのかなんて聞かされていなくて、韓国で自分のことを知ってるやつなんているわけないだろう、というスタンスでした。どこか小さいクラブにでも連れて行かれるのかな、なんて思っていたら、着いた先はホテルでした。まずはここにチェックインするのか、と思っていると奥のボールルームへ通されて、なるほど、何か大きなイベントの前座なのかと思いました。「では今から1時間半お願いします」と言われ、ステージへ。幕が上がると、3〜4000人ぐらいの人がいたんです。その時点でも、誰かほかの人のファンなんだろうなって思っていました。いざDJが始まってぱっと後ろを振り返ったら、自分のアルバムのジャケットが大きく映し出されていて、そこで初めて、全員が自分のお客さんだったことに気づいたんです(笑)。

祐真 すでに韓国で人気があったんですね。

田中 アメリカやヨーロッパでリリースしていたからですね。韓国には徴兵制度※4があるので、その影響で海外へ留学する人も少なくないみたいで。留学先の北米やヨーロッパで僕のレコードを買った子たちが、韓国へ持ち帰って流行っていたようなんです。日本で韓流ブームが起こる以前に、日本人DJブームが韓国で起きていました。一番人気があった時は、訪韓時には僕にSPが3人ついていたほどです(笑)。

祐真 それはすごい(笑)!アジアでウケる音楽とはなんだったのでしょう。田中さんがNYで廻していた頃とは違いました?

田中 アメリカ・ヨーロッパを頻繁に回っていた頃から時代も変わっていたし、僕自身の気分も変わっていたので、もう少しDJ的な4つ打ちハウステクノにシフトしていました。でも、韓国でウケていたのはメロディだったりハーモニーだったりとか、いわゆるヨーロッパで人気だったダンスミュージックとは違う音楽だったように思います。それを日本人が作っていることでウケていたのかなと。ほどなくEDMの登場で、立場が韓国と逆転していくわけですけど。僕が韓国で人気があった頃、VERBAL※5と一緒にFPM-floとして大きなフェスに出たんです。僕らの前の出演者のステージにはお客さんが5、6人しかいなかったので、これはマズいなと思っていたのですが、僕らが出たらどんどん人が集まってきて最終的に1万人ぐらいになってホッとしました。僕らの出番が終わると出てきたのがデビューしたてのビッグバン※6。当時は僕らのほうがウケてたんですよ。そういう転換期を韓国と日本で見ていた気がしますね。

Page02. 50歳を越えて文章を書くことが楽しいと思えるようになってきた



1 バート・バカラック
(Burt Bacharach/1928-)アメリカの作曲家、音楽プロデューサー、シンガーソングライター。ポピュラー音楽の世界において、作曲家として常にそのトップに立ち続けてきた人物で、音楽史に残る名曲を数多く生み出したことで知られる

2 『The Fantastic Plastic Machine』
1969年に製作されたサーフィンのドキュメンタリー映画。歴史的シェーパーとして、革命的ラインを描いたサーファーとして、レジェンドと呼ばれるスキップ・フライ、ナット・ヤング、ボブ・マクタビッシュ、ミッキー・ムーニョス等の原点を映し出した作品。Fantastic Plastic Machineとはサーフボードのモデル名のこと

3 「beautiful.」
田中知之氏のソロプロジェクトFPM(Fantastic Plastic Machine)が2001年1月にリリースした3枚目のアルバム

4 徴兵制度
国家が一定年齢の国民に兵役義務を課して、強制的に軍隊に入隊させる制度のこと。志願兵(募兵)制度の対義語

5 VERBAL
日本のMC/DJ/音楽プロデューサー/デザイナー。m-flo、TERIYAKI BOYZ、PKCZ®、HONEST BOYZ®のメンバー。アーティスト活動のほか、グラフィックデザイナーでパートナーのYOONと共にファッションブランドAMBUSH®も経営する

6 ビッグバン
2006年にデビューした、韓国出身の5人組男性アーティストグループ。日本では09年にCDデビューし、日本でK-POPブームを巻き起こした立役者とも言われる